ウッドベースをはじめて半年が経過した。
ウッドベースをはじめて半年が経過した。
去年の12月末ぐらいから大学で保管されているベニヤ板のコントラバスを、一学期$35という破格のレンタル料に感動しつつ、生まれてはじめてクラッシックの弦楽器に触れる機会を手にした。ところがそのベースは超安物で全く音がしないものだったから、速攻、近所のバイオリン店でマシなやつをレンタルする。(その安物のおかげで早い段階から右手と右腕の使い方で正しい音の鳴らし方というのに気付けた)
この半年を振り返ると色々なことをやった。
ビバップの定番チューンでもあるDonna Leeのメロディーを200bpmのテンポでやったり↓
ひたすらポールチェンバースの曲をコピったり↓
左手の運指も、まだ力入っているが多少見れる範囲にはなってきた。自分ができる範囲でテクニカルな方面にも焦点当てたりして、建設的な練習ができていると思っていた。(だけだった)
そう、思っていただけだったのである。
先日、鼻高々、自信満々でジャムセッションに飛び入り参加したら、ビバップの自分の知らない曲を200以上のbpmを演奏する羽目になり、演奏中、右手左手が攣りそうになって死ぬ思いをした。演奏中はこの悪夢はいつまで続くのか等といったことを考えていた。
そう、この半年間、ウォーキングベースラインまっーたく練習してなかったのである。
思えば、一年前にエレクトリックベースをはじめて、ウォーキングベースラインもエレキで練習し始めて、最低限はそこそこできるようになった。
でもなぜか、エレキ→アップライトに変えてからは全く歩行ベース線をサボりベースソロの研究ばっかしてた。これでもかというぐらいチェンバースのソロの研究をしていた。(チェンバースのソロについては後日、別の記事で書きたい。)ハナっから他人を支える気0ベースマンが完成されていた。しかしチェンバースのソロは魅力的すぎるから、この点についてはチェンバース本人も批判されて然るべきだ。
このサイドマンを放棄したサイドマンを、ジャズドラマーで例えるとすると、リズムやスィングを磨く練習そっちのけで、自分のソロだけを半年間ずっとドラムをひたすら叩きまくって練習してるという異様な光景に言い換えられる。
自分がベース奏者としてソロ楽器を支えるということをすーっかり忘れていた点は、出しゃばりな性格があるからか。現実は観客が焦点を当てるのは花形楽器、又は、聞いてもウォーキングベースラインが殆どであって、ベースソロなんていうのは一般的にニッチなものに分類される上、曲1つで見た時、全体の10%にも満たない長さである。こういった現実をベーシスト・インフェリオリティか、それともベーシスト・アイデンティティとして捉えるのかは自由だが、ジャズにおいてバンドを下から支える低音の役割がめちゃくちゃ重要だという事実は揺るがない。
でもここまでウォーキングベースラインを練習する大切さを軽視したのには、やはりエレキベースという楽器を最初に始めたからだと感じる。エレキベースでやるウォーキングベースラインはウッドベースと比べると難しくない。というか、エレキベースという楽器自体、4弦でとっつきやすいモノだし、普通のギターに比べれば、単純明快な楽器だ。
そんなノリでウッドベースを手に取ってみたが、まぁエレキと違って体力を消耗するオンパレードだ。前述の通り、ジャズクラブのセッションなんかで、知らない曲+200bpm以上のテンポという悪夢のコンボを出された日には、コードを目で追ってついていくだけで精一杯だったから、自分のソロの時にはHPが1ぐらいしか残らず、ヨボヨボの年寄りとも似つかない左手の運指でソロを実行することが殆どだった。
ということで、今日から練習を360度、720度方向転換する。ソロ分析は全部やめて歩行ベース線にシフトする。400bpmのテンポの曲を初見でも変顔作りながら、周りの音をしっかり聞けるようになることを目標にしたい。
Steve