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Jazz Bass Blog

Exploring The World of Jazz and Low Note

高い学費を払ってハイレベルな大学に行く意味はあるのか/アメリカの大学に一ヶ月通った感想

f:id:sethproton:20161009114403j:plainミネソタ州に8月26日に引っ越して、一ヶ月以上が経過した。

 

この一ヶ月間で、すでにたくさんのことを学んでいたので、頭の整理のためにもこの場所を借りてアウトプットしたい。大学校内に少なくとも4つ以上スタバがあることや、キャンパスがあまりにも広すぎて、ミネアポリスの街と大学という区別がつかないことも書きたいが、今回はハイレベルな大学に行く意義について。その高い授業料を払ってまで行く価値はあるのかということについて話したい。

私は以前にカリフォルニアのコミュニティカレッジに3年いて、このままカリフォルニアの4年生大学に進学すると自分でも思っていたが、いろいろあってミネソタ州のTwin Citiesに編入した。この大学は、ビジネス、経営、エンジニア系の学部に強く全米でもトップクラスなので、生徒の学力レベルは高い。3月に締め切りの大学の願書を私は6月に出したので、受かるとは全く予想していなかったが、受かってしまったので入学。

実際、州立大学としてみると、この大学は安い方だ。これが私の編入した一つの理由だ。カリフォルニア州の州立大学は州外から来た人間であれば、2016−2017年度の見積もりによると、学費、生活費含めて年間約560万だ。特に、University of California Berkeley やUCLAであれば、都市部なので生活費に圧迫されることだろう。その点、University of Minnesotaは学費、生活費含めて約300万なので、University of Californiaよりも200万安いことになる。

 

しかしながら、日本の大学に編入すれば、年間300万というのは異常なぐらい高いだろう。私はこの値段を払ってまでTwin Citiesに編入する価値があるのか考えた。編入する前は、他の選択肢もあった。年間100万以下の大学に行くことも考えていた。では、私が何故この大学に編入したかというと、それには二つの名門校に期待する理由があった。(後述するが2つ目の期待する理由は入ってみて裏切られた)

このトピックは大学に進学する価値はあるのか?という、私がずっと疑問に思っていた問いに対する一つの答えでもある。

 

一つ目は、大学生活を通して様々な人間に出会うことである。

よりレベルの高い大学に行けば、より素晴らしい人間が多くいること、これは間違いない。その素晴らしい人間たちと考えをシェアすることで、自分の将来の方向性がわかってくるということだ。漠然とた理由だが、その分野に精通しているプロフェッショナルな人間が多いので、会話のレベルが高いのだ。そして共通の趣味や分野を持った生徒と話していると純粋に楽しい。例えば、私はコニュミティカレッジに居た時からベースギターに興味があって、ジャズを演奏したいと思っていたのだけど、コニュニティカレッジの場所がカリフォルニアの田舎町だったので、ジャズが好きな人間を探すのは困難だった。この大学に入ってからは、毎週ジャズに興味を持った生徒たちとセッションする機会がある。勿論彼らはSchool of Music の生徒なので演奏の腕前もある。彼らの即興は聞いていて心地いい。こういったMutual Interestのある人間と巡り合える機会というのは4年生のレベルの高い大学ならではのことだろう。田舎の学費の安い大学ではキャンパス自体も小さいので、そういった経験をするのは難しいのではないだろうか。勿論、決して不可能ではないし、学費の安い大学=生徒のレベルが低い、という白黒問題ではないことも承知している。ただ、優秀な生徒や有名な教授に巡り合える機会の多さでは劣る。これが高い学費を出して大学に行く価値のある一つ目の理由。

 

二つ目は、レベルの高い大学に進学することによってよりハイレベルな教育が受けられるということ。

これは私の勝手な推測であって結論から言うと間違っていた。だからレベルの高い大学≠ハイレベルな教育。

これはどういうことかというと、この一ヶ月間、数学のクラスの教授が本当に分かり辛くて、この考えに至った。私は理系経済学部なので、初歩の大学数学、常微分方程式複素関数論、線形代数から上級数学の統計学が必須科目で、いくつか数学のクラスを取っているのだけど、教授は講義中にホワイトボードに定理しか書き続けないし、TA(Teaching Assistant)は中国系の講師で発音がよくわからなくて(中国系が悪いということではないです)生徒は授業中終始ポカーンとしている印象。彼らはとにかく頭がいいのか、生徒が理解しているという前提で話を進めていく。だから授業前に予習をするのだけれど、「この点とかどうしてもっとわかり易く教えることができないのか」と思ってしまうことが常にある。質問の対応もイマイチで、生徒の理解度を気にしない教授だな、という印象。対照的に私が通っていたコミュニティカレッジの数学のクラスでは、講師は非常にわかりやすかった。クラスの人数も4年生と比べると少なく(20人ぐらい)授業中の質問の対応も早かった。

主観的すぎる考え?それは認識している。ダメな講師、良い講師はどこにでもいるし、まだ指で数えられるぐらいの教授、TAにしか出会っていない。ただ、ハイレベルな教育が”受けられる”というのは間違いであると考える。なぜなら、極端な考えだが、勉強はどこでもできるからだ。刑務所内でカール・マルクス資本論を読破して理解できればそれは大変素晴らしい勉強になり、豊富な知識が身につく。大学に行かず、Khan Academy(無料の動画学習サイト)の全てのコースを制覇してしまえば、知識人になれるだろう。確かに、レベルの高い大学は課題の量が桁違いなので、それをクラスの内容から学ぶ受講と捉えれば、”ハイレベルな教育”ということにはなるだろう。しかし、その課題をアクティブにこなすのは最終的には生徒であるので、パッシブな面で、純粋に講義のクオリティという意味で、ハイレベルな教育に期待してはいけない。以前私はハーバードの経済学の講義をpodcastで聞いていた時期があって、それを素晴らしいと思ったけども、勝手な憶測だが、私の大学でも似たような内容になるのではないか。結局のところ教育者の教えるマテリアルは同じだからだ。(授業の雰囲気や緊張感、ディスカッションの差異はあるだろうしそれが重要な役割を持っているのも認識している)これらの理由から少なくとも、Undergraduateの生徒はその恩恵を受けることはできないだろう。頭のいい教授と出会うというのは上記にある理由:1にカテゴライズされるし、恩恵を受けられる人間というのは、教授の元でリサーチをすることのできる修士課程や博士課程を行っている者が対象ではないかと感じる。

 

だから、授業料の高い大学に行くか行かないかで、最終的な決定をする時は、それは人の性格によるものではないか。私みたいに理由1と高い授業料を天秤にかけた時に、理由1が高い授業料より勝っているなら、進学することをお勧めしたい。勉強だけをしたい、アメリカで学士を取得したいなら授業料の安い大学に行くことをお勧めしたい。

いろいろ書いたが、ハイレベルな教育という定義は人それぞれなので、それを明確に表すには変数が多い。理由2を反駁する意見はたくさんあると思う。

 

以上です。余談だけど、全体的にミネソタ州ミネアポリスは人もいいし、都会な環境でいろいろ楽しい街だ。私はこの街が好きになりつつある。真冬では-30℃になるということを除けばだが。