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Jazz Bass Blog

Exploring The World of Jazz and Low Note

長谷川豊さんから学ぶ、正しい論議の仕方 [ファラシー編]

長谷川豊

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こんにちは。はてなブログで記事を書くのは初めてです。今話題の長谷川豊さんのブログが今、話題になっていますね。

blog.livedoor.jp

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皆さんは、ファラシー(誤謬)というのをご存知ですか。誤謬とは、

論理学における誤謬(ごびゅう、: logical fallacy)は、論証過程に論理的または形式的な明らかな瑕疵があり、その論証が全体として妥当でないこと
です。

このファラシー(詭弁)には様々な種類があります。この詭弁の種類を理解し、それを避ける/指摘することによって、正しく議論することができます。しかし長谷川豊さんのブログには沢山の誤謬が存在するので、彼のロジックが破綻していることになります。

今回はこのファラシー(誤謬)について見ていきましょう。

 

1. 早まった一般化(Hasty Generalization) 

これは、十分な論拠がない状態で一般化することです。

例:日本人は確かにリテラシーのない国民ですが、それでも「バカ」じゃあない。ある程度の「真実」を見抜く力を持っている部分は多い気がします。 

 

日本人をリテラシーのない国民とカテゴライズする論拠を彼は提示していませんので、この誤謬に該当します。

 

例2:病院で患者さんと対峙している多くのお医者さんは、少し違う印象を持っているそうです。
「はっきり言って大半の患者は自業自得」
「患者さん?お金にしか見えないですね」
「まー、人工透析を見てると、日本の未来はないってよくわかるwwww」
どうして一般の方々との認識がそこまで違うのでしょう?病気で苦しんでいる人たちではないのでしょうか?

こちらも、この誤謬にあたります。彼は何人かのお医者さんから取材したそうですが、これが本当であったとしても、それを大多数の意見として捉えるのには早まりすぎたわけです。

 

2. 人身攻撃(Ad Hominem)

これもよく見かける誤謬ですね。論じる代わりに、人格攻撃をしてしまうわけです。

例1)年金システムと保険のシステムを考えたバカ、全員死んじまえ!

 

例2)しかし、世の中には、歪んだ正義感を振りかざす、ネット上でしかうっぷんを晴らすことのできないバカが田舎の公衆便所の小バエのごとく、大量にいます。 

 そして「年金システムと保険のシステムを考えたバカ」ネット上でしかうっぷんを晴らすことのできないバカ」 というのは中傷表現であり、さらに推測によるものなので誤謬にあたります。

 

3. 類比の誤り(False Analogy) 

二つの事象に類似性がないことや、例えが完全に間違っているというファラシーです。

例:■「保育園堕ちた、日本死ね」の人はテロリストなのか?

今回、「殺せ」という言葉を必死になって取り上げている、何の理解力もない小学生レベルのバカが大量に沸いていますが、アホらしくて相手にする気すら起きません。

じゃあアレなんでしょうか?
私が尊敬するIT企業の元社長さんなどは自身のツイートで、たまに「死ねよカスが」など、非常にきつい言葉を使われますが、これ、脅迫罪かなんかなのでしょうかね。殺人教唆か何かでしょうか?
私の番組である俳優さんが「人を一人殺した奴なんて、全員死にゃあいいんだよ!殺せ!そんなやつ!」としょっちゅうおっしゃっていますが、彼、大量殺人犯なんですかね。しょっちゅう言ってますし。

 

長谷川さんが例として提示している、1)IT企業の元社長さんの発言 2)彼自身のブログでの暴言には、類似性がありません。なぜなら彼とIT企業の元社長さんの発言した際の状況が異なる上に、読者に対して類似性が説明されていないからです。

 

4. 間違ったジレンマ(False Dichotomy) 又は、白黒思考と呼びます。

実際には他の選択肢があるのに、二つしか選択肢がないように見せかける誤謬です。

 

例:長谷川豊さんのブログでは、後天的に人工透析する羽目になった患者を批判しているわけですが、後天的に人工透析になられた方は生活習慣の管理ができない人間以外にも様々いるわけです。彼の白黒思考、 先天性で透析を避けることのできない人間 or 後天性=生活習慣がだらしない人間 という白か黒かの仮定をしているので、この誤謬が当てはまります。

 

5. 感情への訴えかけ(Appeal to Emotion)

スピーチをする際には、一見感情に訴えかけるというのは有効ですが、何かを論じる際や、主題がなぜそうされるべきなのか、という文章を書くときには、決して必要ではないのです。なぜならそれが誤った誘導になりがちだからです。

例:なのに、周囲が注意しても聞かず、病院に行っても先生の言うことを聞かず、何年もかかって体を蝕み、何年も周囲に迷惑をかけ続けているバカたちが…

健康を意識し、

毎日、ランニングをし、
お金を出して栄養バランスの良い食事をとっている人たちから保険料を巻き上げ、その金を使って、

ディズニーの横入りをし、
全額タダで医療を受け続け、
毎月『障がい者年金』を支給され
タクシーにタダ乗りしているのです。

 

一見人工透析者は弱者の立場を利用している悪人に聞こえますが、ディズニーランドで横入りする人工透析患者、というのは彼の仮定であり、証拠が提示されていないので(その上、人工透析患者=ディズニーで横入りという早まった一般化もしている) 誤謬になります。

 

いかがでしたか?他にもファラシー(誤謬)は沢山あります。長谷川豊さんの書いたブログを参考に発見されてみるのもためになりそうですね。

 

最後に、アメリカの天文学者カール・セーガンからの引用です。

“Extraordinary claims require extraordinary evidence.” 

「並外れた主題は、並外れた証拠を必要とする。」