Jazz Bass Blog

Exploring The World of Jazz and Low Note

日本の音楽教育は間違っている、何故なら

先日、はてなBlogで話題になった記事があった。

www.jleague.jp

 

この記事は、元日本代表チームの監督、ジーコ (Zico) ことアルトゥール・アントゥネス・コインブラが、小学生や大人(2名)に対して、電話相談で、質問者の疑問に答える内容なのだが、先ず、全ての子供に対して、彼は以下の引用に似たようなニュアンスのような答えを言う。

サッカーを大好きになって、サッカーを愛してますっていうくらいに、サッカーで遊んでください。

 要するに、一般論でよく聞く、物事を楽しめという、クリシェを強調していた。

 

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言い古された考え、誰もがそう思うだろう。しかし、これは今に限らず、日本の音楽教育の仕方という概念に反する考えに近い。これに反論する正当性のある例はあるのか?と訊かれれば、自信を持って、首を縦に振ることはできないけども、私の体験談から、例に成りうるこんな出来事があった。

私は、アメリカの大学の音楽心理学の研究機関で、絶対音感持ちの被験者として、実験に参加する機会があるのだが、興味深いことに、ある限定されたエリアに、この絶対音感を持つ人間は多いと、直接研究者の方から聞いたことがある。それは何処かというと、日本と中国である。であるから、研究者らは、人種と絶対音感の相関を洗いざらいして、生物学的な関連性を導き出そうとも試みているが、やはり、文化的な意味での日本や中国のピアノと音楽教育の普及が、絶対音感保持者の急上昇に寄与したのではないかと思われる。その、”文化的な影響”を日本の例で例えるならば、高度経済成長期に日本国民が消費に快楽を感じ始めた時で、ピアノという楽器がその豊かさのシンボルだったのではないかと考えられる。その彼らの消費行動から起因するピアノの音楽教室の市場の拡大した結果が、古今の日本の私的音楽教育だ。そして今の中国が昔の日本にそっくりそのまま当てはまる。私の周りの中国人は、音楽的英才教育を受けている人数が圧倒的に多いと言っていい。そして彼らから訊いた音楽的英才教育に関連するストーリがある。それは、中国の高校受験と音楽スキルを持った受験者についてだ。中国の一部では、高校入試にピアノを弾ける能力が、受験者に備わっていると、合格のアドバンテージになることが多かったが、今はあまりにも多くの受験者がピアノを器用に弾くことができるため、ピアノを弾ける技能自体が、高校受験のアドバンテージにならなくなったのだとか。

 

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悲しいことに音楽的英才教育がのちに彼らの音楽に対する興味を見出すかと言ったらそんなことはない。私が思う世の中の悲しいことの一つとして、誰かの強制により、誰かが持っていた興味が破壊されてしまうことにある。それは少なくとも私の今住んでいるアメリカでもあって、周りに「音楽やっているの/やっていたの?」と訊けば、やっていたと答える人は多く――しかし彼らの殆どが、「高校時代のブラスバンドで、教師がスパルタだったから辞めた」「幼い頃にバイオリンを習っていたが、親が厳しくて辞めた」等々、他者からの強制によって興味を破壊されたケースが目立つ。

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では日本ではどうか?これも、私の体験談から例を出してみよう。私が5歳から通っていたピアノ教室は、やはり単調と言ってよいほどつまらないものであった。教則本のバイエルから学び出し、ブルグミュラーソナチネ、ハノン等々を1日、2時間、3時間みっちりこなす。練習中に耳にするのは、ピアノ本来の美しさを感じられるメロディアスな旋律というよりも機械的な音だけだった。ピアノの発表会で、ショパンモーツァルトは何回か弾いた事があるけど、当時は、弾くことに必死で、曲自体が美しいと感じたことはなかった。

そして公的音楽教育が行われる、小学校、中学校では、今でも同じような音楽教育だと思うが、ピアノの伴奏付きの合唱に力を注いでいた記憶がある。やはり、体系的な統一性を重視する日本の文化においては、合唱は何かピッタリ当て嵌まるモノがある。他にはリコーダーで、皆で同じ曲を演奏したり等。ここから垣間見える小学校、中学校の音楽シーンに於いてやはり決定的に欠けているのが、創造性である。生徒に、自由に曲を作らせてみる、或いは、生徒が美しい/楽しいと思う旋律を奏でさせる機会が全くといって良いほどない。これでは、”本来あるべき音楽”の形に対して、興味が湧かなくなる。

前提として、音楽のやり方には正しさは存在しない。しかし音楽は、人の創造から生まれる。そして創造性を養わない限り、学生に音楽の楽しさを伝えることなんて無理なのではないか。

 

さて、創造性の不足以外に、何が日本の音楽教育が良くないと私は思うのか。それはエリート主義 (elitism) の排出にある。このエリート主義について説明すると、前述したように、日本では、高度経済成長期に一般的に、ミドルクラスからハイクラスに掛けての世帯が、子供に対して、音楽的英才教育を施していた。(現在は経済の低迷もあり、不明だが)だから、私の幼少期の体験談でもあったように、クラッシックを基盤とした教え方から音楽、楽器や理論を学ぶケースが殆どであったと考えられる。そして、エリート主義はクラッシックだけが崇高で絶対的で、音楽理論的にも完璧だと認める主義の人達なんだけど、日本には、この考えを持つ人間が結構多いような気がする。エリート主義の人達は、勿論、モダン音楽をも好んで訊くのだが、何故かクラッシックというカテゴリーが絶対的なモノであると捉えている場合が多い。この考えについては人々の好み、信条であるから、単純に間違っていると言い切る事は出来ない。しかしこの主義の欠陥は、楽器のテクニック的な面でのうまさがあって初めて、楽器を弾ける、すなわち音楽を楽しむ権利を得られると考えていることだ。だから、人々に「楽器やってみない?」って訊いても「私は(幼い頃からやっている人に比べて)下手だから」という即答が返ってくる。だから結果的に、ある楽器に対して興味が湧いたとしても、このエリート主義の存在とそれの相対的比較によって、興味を閉ざしてしまう。

 

ここで、ジーコの言う、楽しさを発見するという事は、興味を高めるために、非常に重要な要素であることが分かる。”本来あるべき音楽”は、単純に自己表現であるから、楽器が上手い/下手は問題じゃない。自分が思っていることを音楽を通して伝えて、それが楽しければいいというだけのことだ。

 

Steve

真剣の先にあるもの

ジャズを聞く人間の種類は大きく分けて、二種類いる。一人は真剣な顔つきで、演奏者を観察しながら、音の使い方を分析している人だ。もう一種類の人間は、体を小刻みに揺らしながら、音を体で感じる人だ。

まずジャズの聞き方に正解というのはない。バーで酔っ払いながら聞く人もいれば、ちょっとお洒落なレストランで会話をしながら、BGMとして聞く、という聴き方だってある。だから、これが最もだ、といった正しさはそこに存在しないし、するべきではない。しかし、”音楽”には絶対的な本質というものがある。それは音楽を通していかに演奏者が表現できるかである。なぜなら音楽は、一種の芸術として、人が何らのモノを通して利用することが出来る表現方法の一つだからだ。そうであるから、自分が一番表現したい内容が表現できる限りは、簡素な話、楽器はどれだっていいのかもしれない。又同様に、数ある現代楽器が、普及して確立されつつあるのは、西洋の文化や伝統の継承以外に、人間の表現したい内容を上手く投影する事ができるから、とも考えられる。

 

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私はセッションに毎週通い、普段の生活から多くの時間を練習に捧げてきた。極度に集中をして取り組んでいると、それに対して真剣に向き合うようになる。次第に私は、セッションやライブに顔を出しても、ジャズを楽しむ人間ではなく、観察/分析者になっていた。

 

足でノリを取らず、じっくりと真剣な眼差しで演奏者を観察する私は、たとえ演奏を身近で聞いていたとしても、殆ど楽しんでいないのだと錯覚した。演奏していても、全く同じ気持ちだった。即興をしても、何か機械的な音がした。正直何の為に音楽をやっているのだろう、とさえ感じた。気づけば、真剣に向き合えば向き合うほど、自分の表現したい事ができなくなるジレンマにハマっていた。だから一度、音楽との向き合い方を変えようと決心した。他人の表現を観察するのをやめて、体で感じられるように、心から楽しんでみるようにした。頭で考えるのをやめた。そうすると、次第に、自分の一番表現したい内容が出てくるようになってきた。周りの演奏を聞いていても、ジャズはやはり美しい音楽であると、感性を刺激された。そして気づけば、セッションやライブで上記の二種類の人間が垣間見えてきた。だが、私の頭の中には疑問が残る。真剣になることの何が悪いのだろうか、と。

 

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2015年の一月頃、私は地元の映画館でWhiplash(邦題:セッション)という映画を見て、感銘を受けた。プロタゴニストの、偉大なジャズドラマーを目指すアンドリュー・ネイマンは、ニューヨークのシャファー音楽院に通う大学一年生だ。彼はそこでジャズ・アンサンブルを指揮するテレンス・フレッチャーに才能を見出される。しかしフレッチャーは生徒に暴力的と言えるほど厳しく(生徒の顔を引っ叩いたり、椅子を投げつけるシーンもある)アンドリューも次第に彼の影響下に置かれることになる。

私がこの映画で特段感動した点は、努力とそれに伴う犠牲 の表現が美しいところだった。つまり、どれだけフレッチャーから叱られても、理不尽な暴力を受けても、偉大なジャズドラマーになるという、成長を第一目的として捉えているアンドリュー・ネイマンがどこかハードボイルド的で、そしてマスキュラーなエッセンスが詰まった彼とフレッチャーの関係が魅力的だった。しかし、実際のところ、極端な献身的行動が、ジャズの即興に於いて、表現の自由や可能性を捻出することができるかどうかには、疑念が残る。私が思うに、極端な献身性からくる真剣さが、寧ろ表現の自由を妨げると考える。なぜなら、身体がどれだけリラックスされた状態であっても、心が、上達するという一種の目的に固執してしまい、自己表現を優先するよりも、パフォーマンスとしての上手さをより意識してしまうからだ。音楽においてテクニカルな面は、根本的に表現のバリエーションを広げる一つの手段にほかならない。そして究極的には、物事に対する真剣性が人間の内部に潜在するエゴによって拡張され、上達するという手段が目的と化してしまうという危険性がある。アンドリューはフレッチャーの圧力と共に、精神を押されながら偉大なジャズドラマーを目指したけど、それが一人の表現者=音楽家として、成功したと言えるだろうか?

 

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今夜もジャズのライブが始まる。一人のギタリストがヘッドを演奏し始めるや否や、観客席の一番前に座る一人の若いドラマーが、険しい表情で、演奏しているドラマーだけを見つめていた。

 

Steve

【ウッドベース】ラベラ・ブラックナイロン弦7710Nのレビュー / A Product Review: LaBella Upright Bass Strings 7710N

こんにちは。先日、遂にずっと欲しかったモノを手に入れました。

sethproton.hatenablog.com

前回の記事で、散々ブラックナイロン弦の素晴らしさについて語りましたが、結論から言うと、実際に弾いてみてもほんとうに素晴らしい弦でした。ということで、今回はラベラのブラックナイロン弦についてのレビューをしたいと思います。

まずは、アマゾンで$169.99で販売していたので、そこからオーダーをしました。弦の中ではラベラとオブリガード、正直どちらも欲しかったので迷いましたが、最終的には、お手頃な価格という事と、面白いサウンドに期待して、ラベラを選びました。

f:id:sethproton:20170810134135p:plainそして待つこと2日後、ついに届きました。
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 開封していきます。
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赤の装飾が美しいです。
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古い弦を外して、一本ずつ交換していきます。

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なんとなくピエゾでチューニングをしました。 
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こんな感じの見た目になりました。見た目が随分と落ち着いたので、気に入っています。

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プレイアビリティ・サウンドについて

実際に演奏してみて、驚いた事が沢山あります。それは私が、こっちのフォーラムで見て知った内容とは異なる感覚を、弾いてみて体感したからです。まず、テンションについてです。レビューやフォーラムにはテンションは緩めだとの声が多かったですが、弦のテンションは少なくともミディアムです。緩くもなく、硬くもなく、弾きやすさの真ん中レベルでしょうか。もしかしたら普通より少しだけ緩い、という部類に入るかもしれません。

次にアルコ(弓)についてです。これは、他のレビューの通りですね。弾いてみると、

ギィエーーーーー!!!

って音がしました。最初はその不快な響きに、思わず、腰を抜かしてしまいました。ブライト過ぎて、心地のいい音ではありません。でも、予想外だった事の一つとして、アルコで弾けない事はないということです。レビューではナイロンに弓は不可能と述べられていましが、松脂をよく塗れば、少なくともローポジションはまぁまぁ、十分音はでます。(とてもブライトで前衛的?音ですが)私は、普通の弓しか手元に無かったので、黒毛だったらもっとしっかりした音が出せるかもしれません。しかし、問題はハイポジションです。2オクターブ上のCから途端に寒気がする音が出るのです。さらにスケールの練習で3オクターブ上のG以上からは

キァァーーーーーー!!!

という不快極まりない音を響かせてきます。(※弓使うのが上手い人なら、綺麗に弾き切れるかもしれません)しかし全体的に、アルコでスケールの練習できるレベルではあると思います。弓で練習することが今後できないと推測していた私は、これは嬉しいサプライズと言えます。話は少し飛びますが、私は普段、音楽科の防音室で練習しているのですが、さすがに防音室といえど、個室の近くでは練習している音が聞こえるので、今後この弦でアルコするのが少し恥ずかしいです。どこで練習しようか悩みどこです。

話を戻します。メイントピックであるピチカートについて。これは前情報通り、サステインが長く、ブライトであり、アタックのある音がしました。弦高を低くすれば、指板と当たって、更にアタック感の強まる、味のある音がします。(この音は好みが別れると思いますが)しかしながら、これも驚いた事の一つなのですが、生音は思った以上に落ち着いています。ベース本体の個体差で、サウンドの違いは出てくると思いますが、私が想像していたのはもっとキーンとした音だったので、意外でした。寧ろ、音全体のぼやけていた輪郭が浮き出てくれたお陰で、一つ一つの音がより聞き取りやすくなりました。(ピッチの間違えとかバレやすくなりそうです笑)サンプル音源はこちらからチェックできます↓ 生音です。

この弦を使っていて、一番嬉しい点はやはりハイポジションです。音の輪郭がくっきり浮かび上がる特徴があるので、ソロをする時に、音が綺麗にそして鮮明に聞こえます。

 

総合的にみて、ピチカートのサウンドに、私はとても満足しています。前述した通り、アルコはいまいちです。プレイアビリティは、テンションが若干緩いので弾きやすいです。あと直径は普通の弦に比べて若干太めですが、弦がツルツルしていて左手の運指が容易なのもポイントが高いです。

如何でしょうか。一長一短の特徴を持つこの黒弦。ラベラ・ブラックナイロン弦の7710Nのレビューでした。

 

Steve

 

最近の悩み: どうしたら速い曲をうまく弾けるのか /The Problem: How Can I Play the Tune with the Fast Tempo

私の最近の課題について悩んでいます。

セッションの多数に渡る参加で、得たモノが2つあります。一つ目はメンタルです。沢山の人間に囲まれて、ソロをしても全く動じなくなりました。これのおかげで、大学の授業で長時間プレゼンをしても、緊張することがなくなりました。これが場数を踏むということなのでしょうか。メンタルの補強としては、私のジャズの教授が薦めてくれた、The Inner Game of Tennis (邦題:インナーゲーム)という本を読みました。テニスの本なのですが、多くのジャズミュージシャンに愛読された本だそうです。この本の内容については別の機会に書きたいと思いますが、私のメンタルを補強してくれた読み応えのある本ですので、読まれた事が無い方はオススメです。二つ目は、ウォーキングベースラインの適応性のレベルの向上です。散々ビバップを周りが演奏するので、コードトーンの理解と速いテンポについていけるウォーキングベースラインを死ぬほど鍛えられました。(※これを習得するまで周りには散々迷惑を掛けてきました笑)

しかし、二つのファンダメンタル、基盤的要素を習得しても、まだ一つだけ、ベースを演奏する人間としての、習得しなければならない大きな課題が残されています。それは速い曲に対するソロの順応性です。

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指は動くモノなのでしょうか?私は今まで見えてきたビジョンが、今は見えません。私が最初にアップテンポでベースプレイヤーがセッションでウォーキングベースラインを作っていた時は、もう有りえない!!と驚いて、口を開けて眺めているだけでした。どうしたら指がそんな速くついていけているのかと思うぐらい。でも今の自分にはそれがリラックスした状態で、できます。やれと言われれば、340bpmまではウォーキングベースラインを弾ける自身があります。そしてそれを行う為に、練習に取り組むというビジョンがありました。でもソロではどうでしょうか。有りえないぐらい速い弦のピッキング、つまり240bpmをクォーターノートで弾きこなしてソロを作るベーシストにはどうしたら成れるのか。練習だけでそこまでたどり着けるモノなのか。最近私自身を疑うことがあります。

 

答えは自分でも把握しています。それはマッスルメモリーです。これを構築するたった一つの方法は、Repetition(反復)だと知覚しています。それを得る為にはスケールや指使いの練習しかないのでしょうが、ものすごい長い道のりで、膨大な時間を自分に投資することになりそうだと予測します。速く200bpmをソロでうまく弾けるようになりたいです。それはつまり、220bpmあたりをまぁまぁ弾けるレベル、という感じですかね。あまり強調すべき主題の無い内容となってしまいましたが、最近のセッションでは、速い曲のソロを私はスキップする傾向にあるので(自分の表現ができない=ジャズの楽しさがない)はやくジャズを心から楽しめる人間になりたいです。

 

Steve

あなたはウッドベースのブラックナイロン弦が好きですか?/ Do You Like the Sound of Black Nylon Strings?

ここ2ヶ月ブログを更新していないので、ちょっと最近思うことを書いてみます。

あなたはブラックナイロン弦、というのをご存知ですか?

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(↑ そう、ロンカーターをご存知の方であれば、知っている人は多いと思われるブラックナイロン弦)

 

このブラックナイロン弦というのは、文字通り、内部のスチール材をつるつるのナイロン材でコーティングした弦のことなんですが、元はこの弦のメーカーのラベラ社(Labella)が、日本のサントリーのCMでおなじみのジャズ・ベーシスト、ロンカーターと共同開発して作られたものなんですね。ロンカーターはマイルスのバンドにいた頃、独特のサステインとドライブ感でモーダルジャズを支えたベーシストの偉人です。

そのブラックナイロン弦なのですが、特徴として、サステインの長さと明るい音があります。(※ラベラ社は”ガット”の暖かい音を売りとしているが全然そんな音はしない)そんなロンとこのブラックナイロン弦の相性は悪い筈がなく、聞いていて、ロンの音=ブラックナイロンと一発で分かる音が彼によって表現されます。他にもラベラ社と契約していて、有名なベーシストといえば、Buster Williams やMads Vindingが挙げられます。今では、ブラックナイロンはエレキ弦の選択肢としてもありますね。ラウンドよりはブライトさが抑えているが、フラットよりは断然明るい音がします。

 

で、私はこのブラックナイロン弦の独特の音がすごい好きなんですね。アンプを通さず、箱だけで鳴らすと、言葉で形容しがたいのですが、アタックのある明るい音が、耳障りなほどに響いてくれて、聞いていて楽しいです。アンプを通すとフレットレスのエレキベースに立体感をつけたような音がうまく合わさって、アンサンブルの中でもよく聞こえます。ミドルと高音の音域が良い感じに高いんでしょうね。

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演奏面に関しても、私はまだコントラバス用のブラックナイロンを試していないので、定かではありませんが、レビューによるとテンションも低いらしく、弾きやすいそうです。左手に関しても、弦がツルツルしているので、音から音へ移動するのも不可なくできるようです。ただ、唯一の欠点としてアルコ(弓)が出来ないのが欠点ですね。海外のフォーラムを見ていると、チェロ用の松脂と引っかかりの強い黒毛の弓を使えば、弾けないこともないそうな。

 

ウッドベースのブラックナイロン弦聞いたことない方↓  Mads Vinding のI Remember Clifford おすすめです。

www.youtube.com

 

如何でしょうか?ブラックナイロンはジャズのベースのダークな音をを排除してしまうので、好みが別れる音だとは思いますが、好きな方は嵌り、嫌いな方はとことん嫌いそう。

でも、ベースの位置づけが時代と共に変わって、ジャコのようにブライト&メローな音を出すために、ラウンドを選択する人もいますから、バンド内でアクティブな役割を持つベーシストにとって、今のジャズシーンを切り開く革新的な音になりそう?

 

Steve

 

↓ついに買いました!ウッドベースのラベラ、ブラックナイロン弦のレビューです。

sethproton.hatenablog.com

ウッドベースと弦のテンション、弦高と演奏者の体格の関係について

 

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ウッドベースコントラバス関連の日本語のサイトが少ないこと少ないこと。英語で検索してもYoutubeを見ても話題に出している人はかなり少数。

 

ウッドベースの弦のテンションや弦高について最近悩んでる。というか、始めた時からずっと悩んでる。クラッシックのオーケストラをやってれば、弓でさらにローポジションを多様するからそこまで弦高やテンションに拘るという人はいないのかもれしないけど、ジャズのウッドベースの基本原則は、弦高高めで駒の近くを弾くことが良しとされているのだけど、それがどうもうまくできない。

 

まずとにかく弦高が高くては演奏がしずらい。とくにハイポジションやA弦、E弦。

ふと自分のウッドベースの弦高が低くて、フレットバズも少しあるし、鳴りが悪いかな?なんて思って近所のバイオリン屋に行って駒の高さを直してもらったら、弦高と何故かテンションが逆に高くなってしまって、A弦でリズムが全く取れない状態になった。要するに自分の指が弦のテンションの強さと弦高に耐えられなくなった。

 

その弦高高い状態+高テンションで何日間練習してたんだけど、どう考えても改善される兆しが見えない。

 

結局、駒の高さとテンションを直そうと、ググって調べてみたらこんな記事があったので、参考にした。ありがとうごさいます。

imasashi.net

 

要するに駒を指板から離すと物理的にテンションがゆるくなるという事をこの記事では語っていて、なるほどなぁーと思って私も試してみたら、結果弦のテンションは下がっていい感じに。

 

弦高と演奏者の体格の関係について

 

で、弦高についてなんだけど、前述した通りジャズには、ひとつマスキュラリティーな定説というのが蔓延してる。それは弦高が高ければ高いだけ音がよく響いて、良いみたいな。確かに、一つのウッドベースの特徴として、少しでも弦高をあげると、顕著に音が増幅されるのが分かる。ということを考えると、昔のベーシストなんかはアンプやマイクの発達していない時代にドラムやサックスにかき消されないようにボンボン鳴らしてたわけだから、かなり弦高は高いと言えるのではないだろうか。例えば、デュークエリントンのビックバンドに所属していたジミーブラントンや、マイルスのバンドにいたポールチェンバ−スなど、とてもアクースティックで芯のあるサウンドが特徴的なんだけど、彼らの、他の楽器に負けないビックサウンドってやっぱり彼ら自身が文字通り巨人だったからではないだろうか。だから、彼らの巨大な手から繰り出されるピッキングは、弦高のめちゃ高い駒付近をピッキングしても問題なかったのないだろうと推測される。

 

偉大なジャズベーシストの一人であるジョン・パティトゥッチはあるセミナーでこう語っている。

www.youtube.com

 

42:54〜

僕が周りの指が長いベーシストたちを見た時は、僕は一生良いベーシストになれないと思ったよ。自分の指は長くないからね。僕の最初にレッスンを受けたクラッシックのコントラバス奏者チャールズの指はデカいソーセージのような指を持っていたんだ。

43:16〜

でも一番大事なことは、右腕に絶対力を入れてはいけないことだ。もしあなたが(弦高に苦戦しながら)力を込めて弾いているならそれは良くないサインだね。弦高が高くなくても大きいサウンドは手にいれることができる。ミルト・ヒントンやレイ・ブラウンロン・カーターも弦高は普通だったけど、彼らのサウンドは美しいよ。

 

高身長のロン・カーターが弦高低いのにはちょっと意外だったけど、ジョンのこの話は説得力ある。ジョンは他にも、弦高をあげれば上げるほど、音が増幅するというのではなく限界点があるというのも指摘していた。

 

要するに自分の体格にあった弦高とテンションを見つけるのが一番良いというのが結論。私の体格はジャズベース巨人のような体格ではないので、ローアクションで自分のサウンドを追求していきたい。

 

Steve

ウッドベースをはじめて半年が経過した。

ウッドベースをはじめて半年が経過した。

去年の12月末ぐらいから大学で保管されているベニヤ板のコントラバスを、一学期$35という破格のレンタル料に感動しつつ、生まれてはじめてクラッシックの弦楽器に触れる機会を手にした。ところがそのベースは超安物で全く音がしないものだったから、速攻、近所のバイオリン店でマシなやつをレンタルする。(その安物のおかげで早い段階から右手と右腕の使い方で正しい音の鳴らし方というのに気付けた)

 

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この半年を振り返ると色々なことをやった。

ビバップの定番チューンでもあるDonna Leeのメロディーを200bpmのテンポでやったり↓

www.youtube.com

ひたすらポールチェンバースの曲をコピったり↓

www.youtube.com

左手の運指も、まだ力入っているが多少見れる範囲にはなってきた。自分ができる範囲でテクニカルな方面にも焦点当てたりして、建設的な練習ができていると思っていた。(だけだった)

 

そう、思っていただけだったのである。

 

先日、鼻高々、自信満々でジャムセッションに飛び入り参加したら、ビバップの自分の知らない曲を200以上のbpmを演奏する羽目になり、演奏中、右手左手が攣りそうになって死ぬ思いをした。演奏中はこの悪夢はいつまで続くのか等といったことを考えていた。

 

そう、この半年間、ウォーキングベースラインまっーたく練習してなかったのである。

思えば、一年前にエレクトリックベースをはじめて、ウォーキングベースラインもエレキで練習し始めて、最低限はそこそこできるようになった。

でもなぜか、エレキ→アップライトに変えてからは全く歩行ベース線をサボりベースソロの研究ばっかしてた。これでもかというぐらいチェンバースのソロの研究をしていた。(チェンバースのソロについては後日、別の記事で書きたい。)ハナっから他人を支える気0ベースマンが完成されていた。しかしチェンバースのソロは魅力的すぎるから、この点についてはチェンバース本人も批判されて然るべきだ。

 

このサイドマンを放棄したサイドマンを、ジャズドラマーで例えるとすると、リズムやスィングを磨く練習そっちのけで、自分のソロだけを半年間ずっとドラムをひたすら叩きまくって練習してるという異様な光景に言い換えられる。

 

自分がベース奏者としてソロ楽器を支えるということをすーっかり忘れていた点は、出しゃばりな性格があるからか。現実は観客が焦点を当てるのは花形楽器、又は、聞いてもウォーキングベースラインが殆どであって、ベースソロなんていうのは一般的にニッチなものに分類される上、曲1つで見た時、全体の10%にも満たない長さである。こういった現実をベーシスト・インフェリオリティか、それともベーシスト・アイデンティティとして捉えるのかは自由だが、ジャズにおいてバンドを下から支える低音の役割がめちゃくちゃ重要だという事実は揺るがない。

 

でもここまでウォーキングベースラインを練習する大切さを軽視したのには、やはりエレキベースという楽器を最初に始めたからだと感じる。エレキベースでやるウォーキングベースラインはウッドベースと比べると難しくない。というか、エレキベースという楽器自体、4弦でとっつきやすいモノだし、普通のギターに比べれば、単純明快な楽器だ。

 

そんなノリでウッドベースを手に取ってみたが、まぁエレキと違って体力を消耗するオンパレードだ。前述の通り、ジャズクラブのセッションなんかで、知らない曲+200bpm以上のテンポという悪夢のコンボを出された日には、コードを目で追ってついていくだけで精一杯だったから、自分のソロの時にはHPが1ぐらいしか残らず、ヨボヨボの年寄りとも似つかない左手の運指でソロを実行することが殆どだった。

 

ということで、今日から練習を360度、720度方向転換する。ソロ分析は全部やめて歩行ベース線にシフトする。400bpmのテンポの曲を初見でも変顔作りながら、周りの音をしっかり聞けるようになることを目標にしたい。

 

Steve