Jazz Bass Blog

Exploring The World of Jazz and Low Note

1万6000円で買った新品6弦ベースのレビュー/ Product Review for Douglas WOB 826

ミネアポリスは寒い。でも慣れてきた。今は気温0度を寒いと感じ、10度近くになると暖かいと感じる。人間の適応能力は不思議だ。私がCAに居たとき、ミネソタ州から先輩が遊びに来た時があった。時期は真冬だったので、当然ながら歩行者は冬着を羽織っていたのだが、彼は半袖を着ながら、表情一つ変えずに「ここは暖かいね」 と言っていたのが印象に残っていた。今になって分かる。あれは強がりではなかった。

さて、タイトルにあるとおり、ベースの話です。新しく買った六弦ベースのレビュー。ちなみに私はギアに詳しい人間じゃないし、拘る人間でもないので(私の所持する残り2つのベースも二万以下) 素人目線のレビューになります。

 

購入に至った理由は、今のジャズ系のサウンドで六弦があると便利だと感じた。low- B(六弦目) はウォーキングベースラインの時に、low-D かEbを弾ければなと感じていて、Hi-C(一弦目)はメロディーライン弾いたりインプロヴィゼーション(即興)の時などにあると役に立つと考えていた。ああ、あと、私が今期、大学に作ったジャズクラブ、今人数少なくて(7人くらい)メンバーも不定期に来るから、ギターとかのコードをカバーしたかった。

 

 

 

Douglas WOB 826の魅力

最初に買うときは、Ibanezの506がずっと気になっていて、ebayとかで値段交渉してた。しかし六弦ベースを更に詳しくリサーチしていたら、Rondo Musicというのをよく目にするようになった。どうやらローエンドモデルに名声があるらしい会社だ。Talkbassのレビューを見てみると、評価も悪くなく、値段以上の楽器を作る会社だと聞いたので、この噂に一か八かで賭けてみようと思った。

 

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-お馴染みの石鹸ハムバッカーが、そのスタンダード性を主張するかのように2つ搭載されている。-

まず注目すべきはその値段だ。34スケールでアクティブピックアップ。$160でアクティブって既に価格破壊している。同価格帯ではないけど、一番安い六弦アクティブモデルって、Ibanezの206なんだよね。日本では販売してないけど。 それは新品が$300ドルぐらいなのだけど、ブリッジが安っぽいから買おうとは思わなかった。

 


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 (写真ではフィンガーランプがついている)
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Douglasは作りがその点非常にしっかりしてる。本当に$160ドルなのかと、目を疑うほどだ。ブリッジの機構はIbanezより酷くないから気に入ってる。更にボディーの木はフェンダーでお馴染みのアッシュで、ネックはメープル、指板はローズウッド。

EQは、ボリューム、ベース、トレブル、ブレンド。

 肝心の音は、アクティブらしい明るい音。スラップすると良い音、とでも言うのでしょうか。トーンをコントロールすればジャズにも使えるので、本当に欠点なしです。(※ちなみに弦はダダリオに変えました)


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ギターセンター(アメリカの大手ギターショップ)でESP LTDの六弦を試奏したときは音が、ギラつきすぎてすごい違和感を感じた/私の好きな音ではないと思ったけど、このDouglasは丁度いい。明るすぎず、ミドルも響く。 ネックもそのLTDより細く、使いやすさがある。ただ、Low-Bは音色では五弦に劣るところがあるけど、六弦目自体、あれば便利という感じなので、特に気にしていない。
あと、ボディが軽い。3.85kg で、私の四弦ベース、スクワイアより軽い。

 唯一の欠点は、これはハイエンドモデルとのボーダーラインなのだろうけど、チューナーが良くない。単純に安いから狂いやすい。毎回演奏するときはチューン必須です。

 

以上がレビューです。総合的にみて$160でこのクオリティは信じられないです。

ちなみにRondo Musicという知る人ぞ知るメーカー、$425でカスタムショップもやってます。完全に価格破壊してますね。
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ハイエンドモデルによくあるスルーネックやファンドフレット、独立構造のブリッジもオーダーできる(しかも全て$425で)ので、気になっている方は試してみるのも良いかもしれません。

 

 

Final Thought 

Rondo Music の楽器は素晴らしく、値段以上の価値があると思います。

 

 

追記(11/17/2016):最初に開封して、試奏した時に、指先が汚れることがありました。どうやら弦ではなく指板に埃がついているようなので、拭いて汚れを取るといいです。

 

音楽科について思うこと/Thought about School of Music

 



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私は今季、ジャズのクラスとラテンアンサンブルのクラスを取っている。音楽科でもない私がこれらのクラスを取ることは新鮮で、学ぶことが非常に多い。それはまるで異国の地に辿り着いたような感覚で、音楽科の建物に最初に入った時は、その変わった雰囲気から、初めてアメリカに来たことを思い出した。クラスを取る前はどうしてもジャズがやりたくて、学期が始まる前にアドバイザーに相談していたのだけど、どうやら、ジャズのクラスは3つしかないようで、そのうち2つがオーディションを必要とするジャズコンボとアンサンブルのクラス。残る一つはJazz Theory と言って所謂ジャズに関するアカデミックな音楽を学ぶのだけど、もちろん音楽科の大学生が対象だから、このクラスを取るには二つの必修科目(music theory とか)か教授の承認が無いと取れないようになっていた。私はどうしてもこのクラスを取りたかったので、アドバイザーには止められたけど、教授に取れるようにお願いしてもらって、そして今、このクラスで苦戦している。テストの点数が思うように伸びないのだ。

あの時散々アドバイザーに取るな、と言われた理由がわかった気がした。それはこのクラスがその名の通り、音楽科の三年生以上にオファーしているクラスだからだ。しかしながら、このクラスは私自身の価値にも気づかせてくれたクラスだ。

絶対音感/完全音感というのをご存知だろうか?

絶対音感(ぜったいおんかん、英語:perfect pitch)は、ある音(純音および楽音)を単独に聞いたときに、その音の高さ(音高)を記憶に基づいて絶対的に認識する能力である。狭義には、音高感と音名との対応付けが強く、ある楽音を聞いたときに即座に音名・階名表記を使用して表現できる能力である。

絶対音感 - Wikipedia

言葉通り、何も見ずに音階を識別できることだが、私にはそれがあった。どうやら幼い頃、ピアノを習っていたのが今になって役に立ったのだ。ただ、議論はある。絶対音感を先天的能力だとか後天的でも身につくだとか。今回はこのことについては詳しく触れないが私は後天的、つまり絶対音感は幼少期からのトレーニングによって発達するものだと信じている。

さて、この能力が私の今のクラスにどれだけ貢献しているかは、計り知れない。ただ、間違えないでほしい。私はこの能力を自慢しているのではないし、まるで自分を特別な人間だと思ってもいない。寧ろ私が特別だと思うのは、”彼ら”だ。彼らはすごい。一体どれだけの努力をしているのか私には想像もつくはずもなくー彼らのスキルは長期に渡る鍛錬から得られたものだろう。彼らのすごさは私が重い腰を下ろしてブログに書こう、と思わせるほどすごい。

それで、彼らの凄さの例なのだけど、Jazz Theory のクラスで教授がピアノで複数のコード MA 7th, Minor 7th, Dominant 7th, Suspension, Diminish (full dim or half dim), Augumented, MA6th, Minor 6th の中からランダムに選んで和音で演奏して、生徒が聞き分け、コードの名前を紙に書くテストがある。絶対音感を持つ私は個別の音を識別してから、コードを識別する。例えばC MA 7th であれば、CEGB) だから→C MA7th となる。対して音楽科の生徒はそのコードのトーンで識別する。(だから彼らがMajor 7th を聞いたと思ったら、X MA 7thと書く。)  完全に識別するプロセスが違うと感じ、驚いた。彼らはどうやって全体からコードトーンを識別することができるのか?絶対音感を持っていないから、コード一つ一つのトーンは識別できないはずなのに。それはまるで、リンゴを識別する時に、私は色が赤いと知覚したのでリンゴだと判断するのに対して、彼らは形を見てリンゴであると理解する。私は特別な努力をしていないので、そのリンゴの形が見えないが彼らには見える。しかし彼らはリンゴの色をうまく識別することはできないのだ。でもリンゴだとわかる。非常に不思議な話だ。

しかしながら、彼らがそれらの努力をしてきているのもわかる。彼らが単に音楽に対する情熱があるというのもあるが、キャリアの問題もある。偉大なる成功者は大抵大学の卒業式にゲストの演説者として呼ばれた時なんかは、「俺はこれが好きだから今成功したんだ!」なんていうエンスージアストが多い。彼らは賞賛を与えられるにふさわしい人間である一方で、好きというファクターをモチベーションにして成功する人間は一握りだというのも事実だ。私が経済学をメジャーにしているのも、最初は就活がしやすそうという漠然とした理由からだったが、リスクを考慮すればそれは悪い選択肢と言えなくもなかった。しかし音楽科でDegreeをとるならば、職を手にし、成功するという限定的な条件下ではリスクは高いように思えるのだ。だから彼らが自分の能力を少しでも伸ばし、他人と違いをつけるために必死になっているのもわかる。私にはその覚悟がなかった。好きだからといって、それを選択してうまくいくほど社会は簡単な構造で成り立っていないと思う観念が頭にあった。

 

もう一つ、最近、深い言葉を教授から聞いた。私が教授に質問した時だった。「例えば、自分がimprovisationしていて、Dominant 7thのコードを見つけたら、Altered Scaleを使おうとか、頭の中で常に考えているのですか?」と。

彼は言った。"When great players do improvisation, they think really hard to not think" (偉大なミュージシャンが即興する時、彼らは考えないようにするために考える)

偉大なミュージシャンたちは、即興する時もはや考えもしないだろうから、教授が自身に当てはめて言ったのだけど、奥が深すぎる。

 

結局、ジャズというのは一体なんだろう。クラスが終わり、音楽科の建物を出るときにいつも思うことだ。子供の頃聞いた時は、こんなの皆適当に演奏してるだけじゃん!って思っていたけど、今はそのジャンルの複雑さが、音楽理論によって少しづつ紐解かれていく感じがする。それを完全に理解できるまでは、まだまだ先の話になりそうだ。

 

 

 

 

ベースと4フィンガーピッキングについて/ The Way That I Achieve the Technique Called "4 Finger"

 



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School of MusicのUpper Divisionのクラスを取り始めてから、少なくとも自分をエセ音楽大学生だと自覚しはじめた。ベースの練習量がいつも以上に増して、周りの人間とジャムする機会も多くなり、ある意味音楽関連で忙しい。次学期のジャズコンボ、アンサンブルのクラスを取るためにも、12月のオーディションに向けてウォーキングベースを練習しなければならない。

しかし、マシュー・ギャリソン(Matthew Garrison)やドミニク・ディ・ピアッツァ(Dominique Di Piazza)の演奏を見てから、彼らのプレイスタイルが頭から離れない。彼らは四本の指でベースを弾くのだ。これに私は衝撃を受けた。もちろん、ビリー・シーンの3フィンガースタイルは知っていたし、4本で弾くとなると、人+中+薬+小指か?と思ったら、どうやら四本目の指は親指だそうだ。

そのプレイスタイルの難易度を知りもせず、先走って練習に取り掛かったのは言うまでもなく、かつ、3フィンガーも練習してない私にとって薬指が動かなさすぎて苦痛であった。

一日に10時間ぐらいやって成長が見込めないと、こんなので良いのかと自問自答する。ウォーキングベースを練習せずに4フィンガー全てに時間を捧げるだけ、これを習得する価値があるのか?と思う。でもカッコイイじゃん。周りと違ったプレイがしたい。

マシュー・ギャリソンは言う。「良いか、何度も言うが、これ(4フィンガー)ができないからと言って、優れていないベーシストという訳ではないんだ。俺は単にグルーブが欲しかったから身につけたんだ。」

曲のために身につけた。ミュージシャンらしい真っ当な回答である。私はカッコいいという理由の変な動機による。

 しかし、4フィンガーはマスターできれば、実用性に富んだテクニックになることは間違いない。特に素晴らしい点は2フィンガーと違い、弦に対して手が斜めになるので、スラップやフリーストローク(親指と人差し指ピッキングのこと)に即座に対応しやすいことだ。だから、即座に音にダイナミクスなんかを付けたいときは、親指で弾くことができる。

 

さて、4フィンガーを始めてから、2週間が経過したときだった。練習量は増しているのにBpm 200を8ビートで弾くのに苦戦。こんなの2フィンガーなら鼻くそほじりながら誰でもできるのに。マッスルメモリーがやはり薬指に関しては圧倒的に足りない。

しかし、ついに閉ざされたプラトーを打開した。練習を開始して15日目ぐらいで、いつも通りBpm200もできないし、そろそろやめるかと思って諦めかけていた。ふと、何を思ったか3フィンガーで弾いてみた。親+人+中は元からマッスルメモリーはあるのでかなり早く弾けるぐらい上達していた。そして信じがたい話だが、そこに薬指軽く足したら、一瞬で220Bpmを16ビートで弾けるようになった。

 

ということで、最近の練習は全て4フィンガーに充てている。やって良かったと思うのは親指のマッスルメモリーが構築されたのでスラップがかなり上達したのだ。(はじめからスラップ練習しろよって話だが)

あと、速度を追い求めていたので2フィンガーがより速く弾けるようになって、更に安定した。 3フィンガーも弾けるようになった。

そして一番嬉しいのが、フリーストローク奏法が親指の強化によって弾きやすくなった。

 

 

 4フィンガーをこれから練習しようと思っている方は、4フィンガーの習得による恩恵だけでなくこれらの副次的な恩恵も受けられるので良かったらやってみることをオススメします。

 Dominique Di Piazzaのグルーブ 

 
Dominique DIPIAZZA Project Live @ La Note Bleue Jazzclub - YouTube

 

Part 2 はこちら

sethproton.hatenablog.com

 

 

 

高い学費を払ってハイレベルな大学に行く意味はあるのか/アメリカの大学に一ヶ月通った感想

f:id:sethproton:20161009114403j:plainミネソタ州に8月26日に引っ越して、一ヶ月以上が経過した。

 

この一ヶ月間で、すでにたくさんのことを学んでいたので、頭の整理のためにもこの場所を借りてアウトプットしたい。大学校内に少なくとも4つ以上スタバがあることや、キャンパスがあまりにも広すぎて、ミネアポリスの街と大学という区別がつかないことも書きたいが、今回はハイレベルな大学に行く意義について。その高い授業料を払ってまで行く価値はあるのかということについて話したい。

私は以前にカリフォルニアのコミュニティカレッジに3年いて、このままカリフォルニアの4年生大学に進学すると自分でも思っていたが、いろいろあってミネソタ州のTwin Citiesに編入した。この大学は、ビジネス、経営、エンジニア系の学部に強く全米でもトップクラスなので、生徒の学力レベルは高い。3月に締め切りの大学の願書を私は6月に出したので、受かるとは全く予想していなかったが、受かってしまったので入学。

実際、州立大学としてみると、この大学は安い方だ。これが私の編入した一つの理由だ。カリフォルニア州の州立大学は州外から来た人間であれば、2016−2017年度の見積もりによると、学費、生活費含めて年間約560万だ。特に、University of California Berkeley やUCLAであれば、都市部なので生活費に圧迫されることだろう。その点、University of Minnesotaは学費、生活費含めて約300万なので、University of Californiaよりも200万安いことになる。

 

しかしながら、日本の大学に編入すれば、年間300万というのは異常なぐらい高いだろう。私はこの値段を払ってまでTwin Citiesに編入する価値があるのか考えた。編入する前は、他の選択肢もあった。年間100万以下の大学に行くことも考えていた。では、私が何故この大学に編入したかというと、それには二つの名門校に期待する理由があった。(後述するが2つ目の期待する理由は入ってみて裏切られた)

このトピックは大学に進学する価値はあるのか?という、私がずっと疑問に思っていた問いに対する一つの答えでもある。

 

一つ目は、大学生活を通して様々な人間に出会うことである。

よりレベルの高い大学に行けば、より素晴らしい人間が多くいること、これは間違いない。その素晴らしい人間たちと考えをシェアすることで、自分の将来の方向性がわかってくるということだ。漠然とた理由だが、その分野に精通しているプロフェッショナルな人間が多いので、会話のレベルが高いのだ。そして共通の趣味や分野を持った生徒と話していると純粋に楽しい。例えば、私はコニュミティカレッジに居た時からベースギターに興味があって、ジャズを演奏したいと思っていたのだけど、コニュニティカレッジの場所がカリフォルニアの田舎町だったので、ジャズが好きな人間を探すのは困難だった。この大学に入ってからは、毎週ジャズに興味を持った生徒たちとセッションする機会がある。勿論彼らはSchool of Music の生徒なので演奏の腕前もある。彼らの即興は聞いていて心地いい。こういったMutual Interestのある人間と巡り合える機会というのは4年生のレベルの高い大学ならではのことだろう。田舎の学費の安い大学ではキャンパス自体も小さいので、そういった経験をするのは難しいのではないだろうか。勿論、決して不可能ではないし、学費の安い大学=生徒のレベルが低い、という白黒問題ではないことも承知している。ただ、優秀な生徒や有名な教授に巡り合える機会の多さでは劣る。これが高い学費を出して大学に行く価値のある一つ目の理由。

 

二つ目は、レベルの高い大学に進学することによってよりハイレベルな教育が受けられるということ。

これは私の勝手な推測であって結論から言うと間違っていた。だからレベルの高い大学≠ハイレベルな教育。

これはどういうことかというと、この一ヶ月間、数学のクラスの教授が本当に分かり辛くて、この考えに至った。私は理系経済学部なので、初歩の大学数学、常微分方程式複素関数論、線形代数から上級数学の統計学が必須科目で、いくつか数学のクラスを取っているのだけど、教授は講義中にホワイトボードに定理しか書き続けないし、TA(Teaching Assistant)は中国系の講師で発音がよくわからなくて(中国系が悪いということではないです)生徒は授業中終始ポカーンとしている印象。彼らはとにかく頭がいいのか、生徒が理解しているという前提で話を進めていく。だから授業前に予習をするのだけれど、「この点とかどうしてもっとわかり易く教えることができないのか」と思ってしまうことが常にある。質問の対応もイマイチで、生徒の理解度を気にしない教授だな、という印象。対照的に私が通っていたコミュニティカレッジの数学のクラスでは、講師は非常にわかりやすかった。クラスの人数も4年生と比べると少なく(20人ぐらい)授業中の質問の対応も早かった。

主観的すぎる考え?それは認識している。ダメな講師、良い講師はどこにでもいるし、まだ指で数えられるぐらいの教授、TAにしか出会っていない。ただ、ハイレベルな教育が”受けられる”というのは間違いであると考える。なぜなら、極端な考えだが、勉強はどこでもできるからだ。刑務所内でカール・マルクス資本論を読破して理解できればそれは大変素晴らしい勉強になり、豊富な知識が身につく。大学に行かず、Khan Academy(無料の動画学習サイト)の全てのコースを制覇してしまえば、知識人になれるだろう。確かに、レベルの高い大学は課題の量が桁違いなので、それをクラスの内容から学ぶ受講と捉えれば、”ハイレベルな教育”ということにはなるだろう。しかし、その課題をアクティブにこなすのは最終的には生徒であるので、パッシブな面で、純粋に講義のクオリティという意味で、ハイレベルな教育に期待してはいけない。以前私はハーバードの経済学の講義をpodcastで聞いていた時期があって、それを素晴らしいと思ったけども、勝手な憶測だが、私の大学でも似たような内容になるのではないか。結局のところ教育者の教えるマテリアルは同じだからだ。(授業の雰囲気や緊張感、ディスカッションの差異はあるだろうしそれが重要な役割を持っているのも認識している)これらの理由から少なくとも、Undergraduateの生徒はその恩恵を受けることはできないだろう。頭のいい教授と出会うというのは上記にある理由:1にカテゴライズされるし、恩恵を受けられる人間というのは、教授の元でリサーチをすることのできる修士課程や博士課程を行っている者が対象ではないかと感じる。

 

だから、授業料の高い大学に行くか行かないかで、最終的な決定をする時は、それは人の性格によるものではないか。私みたいに理由1と高い授業料を天秤にかけた時に、理由1が高い授業料より勝っているなら、進学することをお勧めしたい。勉強だけをしたい、アメリカで学士を取得したいなら授業料の安い大学に行くことをお勧めしたい。

いろいろ書いたが、ハイレベルな教育という定義は人それぞれなので、それを明確に表すには変数が多い。理由2を反駁する意見はたくさんあると思う。

 

以上です。余談だけど、全体的にミネソタ州ミネアポリスは人もいいし、都会な環境でいろいろ楽しい街だ。私はこの街が好きになりつつある。真冬では-30℃になるということを除けばだが。